【レーシック知識】交通費を補助してくれるクリニックブログ:20230822
あたくしは親が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、
家でお酒に溺れるお父さん、
そのことでお父さんをなじるママ。
そしてその怒りをお姉ちゃんやあたくしにぶつけ、
お姉ちゃんはその怒りをあたくしにぶつけていました。
家には居場所がない…
息子の時のあたくしは
そう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に
小学生の時に作った壁掛けがあったはずなので、
ママに見せてほしいと頼むと、
「捨てた」と言いました。
あたくしは当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
ママは言いました。
「あの壁掛け吐き気するくらいキライやねん。
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
あたくしがみても30秒が限界なのですから…
小学生の持つ明るさなどまったくなく、
絶望という言葉がふさわしいような色だけでした。
そして中学、高校と
表面的には普通の息子でしたが
内面的にはどんどんゆがんでいきました。
変わることのないお父さんとママ、お姉ちゃんとの確執。
その時のあたくしの望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁をウエストにあてたりもしました。
このまま目が覚めなかったらいいのに…と
日々のように思っていました。
そしてある時、あたくしは決めました。
「こいつらは赤の他人や」と。
そしてあたくしは一度だけ親に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
親は頭を下げました。
でも、そんなあたくしでも
今は少しづつお父さんもママもお姉ちゃんも
許せていっています。
お姉ちゃんに息子が産まれ
実家で息子たちと遊ぶようになった時に、
お姉ちゃんから
「ありがとう」と感謝をされたことで
あたくしの中で何かがかわりはじめたんです。